ブログをご覧くださりありがとうございます。
本日は、「死にたい」と言う苦しさについて書きたいと思います。
当セラピールームにお越しくださる方々の中には
「死にたい」
「ずっと死にたかった」
とおっしゃってくださる方が多くいらっしゃいます。
私はこのことを、とてもありがたく感じておりますし
こころを出してくださることに、安心もします。
本当にそのつもりもなく「死にたい」と言うのはとても簡単ですし
ときに笑いを誘うために、ジョークとして使うこともありますが
でも、何年もずっと本気で死にたいと思ってきた人間にとって
「死にたい」と打ち明けることは
その瞬間、自分の堤防が決壊して津波が襲ってくるような
大きな、得体の知れないものと向き合うような恐怖があります。
私が初めて「死にたい」と口にできたのは
不眠や抑うつ状態が続いていた25歳のころ
とある心療内科さんでのことでした。
生まれ育った実家の近くに精神病院があり
私は、幼少期に親から
「精神病になったら、一生檻の中から出られない」
というような教え方をされていた影響もあるかと思います。
(今思うと、怖い情報を与えられていたなと感じます。40年ほど前なので、精神疾患について今よりももっと知られていない時代でした。)
「死にたい」なんて言ってしまったら
“精神病というレッテルを貼られてしまうかも”
“私は本当に終わるかもしれない”
という恐怖心もあったのですが
覚悟して、言ってみたら
こころの奥の奥に、ずっと抑え込まれてきた苦しさのかたまりが
“ようやく外に出られた”
というような安堵も感じられました。
ひとりで抱えているには、あまりにも重すぎるものを
まずは吐き出す
誰かに話し、一緒にそれを眺めてみる
そのプロセスが、とても重要だと感じています。
“こんなことを言ったら、さすがにひかれるんじゃないか”と感じて
これまでなかなか言えなかった気持ち
言うことに苦しみを伴う感覚
そういったものの受け皿になることを私は望んで、カウンセラーをしています。
また、自分の内側を出していくことが、こころの治癒への第一歩だと捉えています。
どんなことでもお話しいただければ、とても嬉しく思います。
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