ユングさんとかフロイトさんとか

どの専門領域にも、その道の権威といわれる方々がいます。

心理学でいうと、ユングさんやフロイトさん、日本人では河合隼雄さんが超有名なのだと思われます。心理学に興味がなくても「なんとなく聞いたことある」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。


私自身は、『ユング派』『フロイト派』という特定のカテゴリーに属する気持ちはありません。

それぞれ、単純に情報を仕入れたうえで、「これはこの人の言ってることが納得できるけど、これについては違うと感じるなぁ」という感覚で捉えています。


どの分野でもいえることだとは思うのですが

『その道の大御所や、その大御所が提唱した理論を、あたかも神やご神託のように捉えない』ということが、大切な気がします。

信頼はしているけれども、妄信しない・100%信用しすぎない、ということかもしれません。

妄信すると、そこに執着が生まれ、新しい道や別の道の可能性が見えづらくなるからです。

思い込みや先入観、固定観念は、本質を見失う落とし穴になります。

「これが常識でしょ」「普通こうだからこうすべき」という思考も、不必要な“縛り”を自分に課してしまいます。


物事の本質を探究すること

自分の中の幸福に辿り着くこと


これは、親や社会から植え付けられた概念を、いかに外せるか、ということにかかってくると思います。


もうすでに、『学歴』から『専門技術』へ価値観が変化してきているように。

『子どもは毎日学校に行くべき』『皆勤賞はすばらしい』という“植え付けられた概念”が、コロナ禍で今、見直すタイミングがきているように。

定説はどんどん変わっていきます。



子どもが学ぶ目的は、『子どもが生涯、自分や他者の幸福のために自分で学び、考え、発信し、行動する力をつけること』ではないかと思います。

本来、『学校へ行くこと』は目的ではなく、幸福に生きる力を育むための手段だったはずです。


人間は、目的と手段を取り違えやすいです。

手段を目的としていた方がラクだから。

本質を考えたり感じたりすることから逃げられるから。

自分の間違いを目の当たりにするのが怖いから。


グレーなものを、グレーなものとして自分の中に抱えていることは、想像以上にエネルギーを消費するものです。グレーの探究は、精神的に大きな器を必要とすることでもあります。そうして、人は多様性を認められなくなっていき、善悪・白黒はっきりしないとイライラしたりもします。


宗教二世の問題や、毒親問題も同じようなことが起こっているように感じます。

『幸せになること』『子どもが幸せに生きられるようにすること』が目的のはずだったのに

『自分の信じる宗教を家族にも信じるように強いること』『親の正しいと思うことを押し付けること』『親の幸せ』が目的にすり替わっていることもあります。

もちろん、最初から意図的に子どもを利用しようとする親など、恐ろしいケースもあるのですが…。


大人も子どもも、親や学校や社会や情報操作によって

“自分の意見”と思っていたものも実は、誘導された結果ということもあります。

疑う力すら麻痺していることもあります。


私たちが教えられてきたもの、得てきた知識の中には、“正しいものもあるけど、正しくないものもある”

という距離感を、いつも持ち続けることが大切なのではないかと思います。




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