地元の小さな神社さんの夏祭りがおわって
夕方からの風が涼しくなってくると
「ああ、今年も夏がおわってしまうな」
と、さみしくなります。
ついつい、井上陽水さんの『少年時代』を口ずさんでしまったり。
小学生の頃から
私は夏がおわるのが
すごく悲しかったです。
学校や先生が嫌いだったのもありますが
学校に行ったら、また『良い子』にならないといけないというのもあったかもしれません。
行かないという選択肢自体、私の中にはありえないものでした。
『学校に行かない=劣等・非行』
というのがわが家に浸透していた概念だったからです。
(昭和の時代はそれが普通だったかもしれません。)
私の場合は、精神的に親に頼ることがほとんどできず
親が理想とするであろう子ども像を常に生きていたので
学校や人間関係で辛いことを呑み込んで
とにかく自力で解決しなければなりませんでした。
大人たちからしたら
“自立している良くできた子”
に見えるかもしれません。
大人は大人で、余裕がなく
親も教師も
“手のかからない子”を望み
子どもの、子どもらしさを認められず
そうした大人側の未熟さを棚に上げて
子どもに早期成熟を求めることにも負の連鎖を感じます。
自分の土台ができていないうちに表面上の自立を急いでしまうのは
いつ発動するかわからない時限爆弾を抱えているようなものかもしれません。
Comments