2022年のスタート



2022年元旦

人生初の『初日の出』を拝んで参りました。


波の音に包まれて、徐々に色づいてくる水平線を眺めていると

なぜだか自然と“また、ここから始めていこう”という気持ちが生まれてきました。



普段の生活では、『大いなるもの』への敬意や感謝がおろそかになってしまっても

『初日の出を見に行く』『初詣でおみくじをひく』という日本人のありようが、私は割と好きです。


日常では「神様なんているわけないんだから」と言っている人も

心のどこかで人知を超えた存在を信じているからこそ

“お正月は初詣に”という気持ちになるのだろうと思います。


人々が科学的で合理的で実証可能なものしか信じなくなってきたように思える現代


多くの人が日頃は意識しないけれど

『心の片隅には“目に見えないものへの敬意”が存在する』ということの証明を

お正月には目の当たりにできるような気がします。


私自身、無宗教で、死後はお墓に入る気もなく

“海に還りたい”と思っているほど縛られたくない人間ですが

ただ、信仰はあります。


宗教と信仰は似て非なるものです。

教祖や経典や教義をつくり出し、人心掌握のためにつくられたものが“宗教”。

そこに現される神は“Deus ex machina(機械仕掛けの神)”です。

宗教とは、人が人を支配するためにつくられた組織です。

一概に宗教が悪いものではないですし、人々に信仰心というものを喚起させるという点や、生活困窮者の救済など、良い側面もあると思います。


しかしその団体が、神という権威を利用したり、将来や死後の幸福を左右するという、ある種の脅しを使って、自由意思やお金を奪うものであるなら

そこには金銭や権力や支配への欲が蔓延し、本当の愛はないのだと思います。


誰かの幸福のために踊らされたり、誰かが決めた基準に従っていても

自分自身の本当の幸福からは遠のきます。


信仰とは、自分のこころの声に従うことです。

神社にお参りをしたければお参りをするし、御奉納をするのかしないのか、いくらするのかも自由に決めていい。

ご挨拶の方法も実は自由です。

私はお参りの際、一般的に言われている“二礼二拍手一礼”はしません。


神様や神社でなく、自分自身や、祖先や、山や海や風や宇宙の星々という自然物を信仰の対象とすることも自由です。

そしてもちろん、信仰をしないことも自由です。


“信仰しないから悪いことが起こる”ということは絶対にありません。

熱心に信仰してもしなくても

正直、辛いことも苦しいことも悪いことも必ず起きます。


大切なのは、人生の中で必ずやってくる逆境を乗り越えていく力をつけることです。

自分でトレーニングもしていないのに、拝んでいれば長距離走れるなんて、妄想に過ぎません。

日頃トレーニングをしていると、急激な上り坂でも“自分ならできる”“乗り越えたらまた自分の力になる”と認識できます。

でも弱っている状況では、“これは何の罰なんだ”と思ってしまったり

“自分はなんてついていないんだ”と思ってしまったり。


人は感情のある生き物で、感情もまた大切なもので、常に明るく前向きでいる必要はありません。

しかし生きていくためには、自分が傷ついていることを認識し、癒していくことも必要です。


心理カウンセラーが、ご相談者様のためにできることは

ご相談者様がご自分のこころと向き合い、生きる力をつけるお手伝いをすることです。


カウンセラーもまた、弱さや醜さを大いに抱えたちっぽけな人間のひとりですが

暗闇にいながらその暗闇をさらに深く詳しく見ようとするところは強みでもあり

だからこそ、夜明け前の一番暗い時間、ご相談者様の伴走をしたいという気持ちも生まれてくるのかもしれません。


新年もどうぞよろしくお願いいたします。












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