私が小さい頃、まだ保育園に通っていた頃です。
誕生日が、とても寂しかったのを最近思い出しました。
私の誕生日の一番古い記憶は
おそらく4歳
ひとりで、空き地で、四つ葉のクローバーを探しているんです。
“さびしい”という気持ちを押し殺して。
四つ葉のクローバーが見つかったら
“自分はしあわせだ”と想えるから。
一種の願掛けのようなことをしていたのかもしれません。
四つ葉のクローバーは無事、見つかって
とても満足するはずだったのに
満足はできませんでした。
そして、自分に言い聞かせます。
“今日、ケーキを作ってくれるって言ってた。誕生日に、ケーキを作ってもらえるなんて、なんて私は幸せなんだろう”
4歳の子どもの思考として
今思えば、すごく違和感があります。
私自身、親になって
娘が奔放な子どもらしい子どもでいてくれたので
気づくことができた面がありますが
私は子どもとして、子ども時代を生きていなかったと思います。
気持ちを押し殺すことに慣れ過ぎて
“私は幸せなんだ”と自分を偽り続けて
自分を見失って
軸がなくなって
自分さえ信じ
られなくなって
だれも信頼できない
そういう人生を私は送ってきました。
でもひとりではなかった。
見守ってくれる存在もありました。
見放されているようで
つつまれてもいる。
自然が多い土地に育って
新緑や花々に囲まれる春は
切なくもあり、大きなやさしさを感じる季節です。
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