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PROFILE

心理カウンセラー・セラピスト

公認心理師・保育士

石塚愛のプロフィール

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【プロフィール】

 幼少期、10代は、どこにも居場所がなく、自分には価値がないと感じていました。いわゆる機能不全家庭の中、『私は優秀で完璧でいなければ捨てられるのではないか』という不思議な恐怖心と共存していました。

 わりと要領をつかむのが器用なほうだったので、はたから見れば何不自由ない優秀な子どもだったかもしれません。けれど今考えると、家族や人生への信頼感、自己肯定感を育めていなかったのだと感じられます。

 20代前半に現在のパートナーと出会い学生結婚。実家から距離をおきたかった私にとっては自然な選択だったように思います。

 しかし、幸せな結婚生活を送れたわけではありません。生活を共にする中で、パートナーに強い違和感を度々感じることが増えていきました。様々情報収集し、徐々にパートナーが発達障害特性が強いことと、境界性パーソナリティ障害であることに気づいていきました。

 まだそのことに気づけない間、パートナーからモラハラを受けても『やはり自分がどうしようもなくダメな人間だからだ』と自身を責め続け、うつ症状や不安障害に苦しむようになりました。薬物の過剰摂取や自殺方法の検索、無差別殺傷事件の被害者への羨望、高層階からの飛び降り願望等、特に20代半ばから30代まで希死念慮と隣り合わせの日々が続きました。

 30代前半に出産し、人生の転機が訪れます。

子育てをしながら、“子どものためにもうしばらくは生きてみよう”“子どもを授かったことには何か意味があるのかもしれない”と思うようになりました。それまで、人生に意味も希望もないと絶望していた自分にとって、このことは人生観の変わるきっかけとなったように思います。

 

 そして、パートナーのこと、子どものことを想ったとき

『愛すること・愛されること』が人にとっていかに重要で、人の幸福をいかに左右するかということを、それまで以上に深く考えるようになりました。自分のように生きることに苦しんできた方々や、“人生の出発点”を担う養育者の方々のサポートをしたいという願いが自身のこころの灯となり、新たな人生を生きる決意をします。

 

 その後、ご縁により師に恵まれました。

思い切って退職し、30代は師に学び、大学院で学び、自分自身の過去と経験に知識を落とし込む日々でした。そしてまた、新たな様々な経験を積ませていただきました。

 

 知識や理論では人を救えず、権威や肩書でもまた、人を苦しみから引き上げることはできないと学びました。人は多くの知識を得ても、それを踏まえて経験から深く学ばなければ、わかったような気になるだけで本当の理解はできません。カウンセラー・セラピスト自身が逃げや守りの姿勢をとき、自分自身の苦しみや恐れ、弱さ至らなさなど、見たくないものを直視しなければ、真の理解にはたどり着けないのです。

 

 その過程で、私は初めて自分の半生に感謝しました。苦労や悲しみの多い人生でなければ、本当に苦しんでいる人のお役には立てないからです。

 私は今、カウンセラーとして飛び立てただけでなく、以前の自分からは信じられないほど、満たされた日々を送ることができるようになりました。自分を愛し、家族や周囲の方々を愛し、感謝と共に人生を歩んでいます。

 

 40代からの半生は、ひとりでも多くの方に幸せな日々を送っていただけるよう、ご相談者様に寄り添い、共に歩んでいく同伴者でありたいと願っております。

*心理カウンセラー(ご相談者様のお話をお聴きし、状況を分析・アセスメントし、問題解決のための助言をさせていただきます)

*セラピスト(状況に応じて表現療法を用いながら、こころを浄化・こころと脳の相互作用と循環の改善を行います)

*放送大学大学院臨床心理学修士課程修了

*公認心理師

*保育士

*日本心理臨床学会会員

​*日本箱庭療法学会会員

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