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「死にたい」と言う苦しさ

更新日:4 日前


ブログをご覧くださりありがとうございます。


娘が描いてくれたセラピストの似顔絵
似顔絵

本日は、「死にたい」と言う苦しさについて書きたいと思います。


当セラピールームにお越しくださる方々の中には

「死にたい」

「ずっと死にたかった」

とおっしゃってくださる方が多くいらっしゃいます。


私はこのことを、とてもありがたく感じておりますし

こころを出してくださることに、安心もします。


本当にそのつもりもなく「死にたい」と言うのはとても簡単ですし

ときに笑いを誘うために、ジョークとして使うこともありますが


でも、何年もずっと本気で死にたいと思ってきた人間にとって

「死にたい」と打ち明けることは

その瞬間、自分の堤防が決壊して津波が襲ってくるような

大きな、得体の知れないものと向き合うような恐怖があります。



私が初めて「死にたい」と口にできたのは

不眠や抑うつ状態が続いていた25歳のころ

とある心療内科さんでのことでした。



生まれ育った実家の近くに精神病院があり

私は、幼少期に親から

「精神病になったら、一生檻の中から出られない」

というような教え方をされていた影響もあるかと思います。


(今思うと、怖い情報を与えられていたなと感じます。40年ほど前なので、精神疾患について今よりももっと知られていない時代でした。)


「死にたい」なんて言ってしまったら

“精神病というレッテルを貼られてしまうかも”

“私は本当に終わるかもしれない”

という恐怖心もあったのですが


覚悟して、言ってみたら


こころの奥の奥に、ずっと抑え込まれてきた苦しさのかたまりが

“ようやく外に出られた”

というような安堵も感じられました。



ひとりで抱えているには、あまりにも重すぎるものを

まずは吐き出す

誰かに話し、一緒にそれを眺めてみる


そのプロセスが、とても重要だと感じています。



“こんなことを言ったら、さすがにひかれるんじゃないか”と感じて

これまでなかなか言えなかった気持ち

言うことに苦しみを伴う感覚


そういったものの受け皿になることを私は望んで、カウンセラーをしています。

また、自分の内側を出していくことが、こころの治癒への第一歩だと捉えています。


どんなことでもお話しいただければ、とても嬉しく思います。


甥っ子が描いてくれたカウンセラーの似顔絵
似顔絵


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